色々あったが、すごい抑え外国人だった

 巨人で抑えを3年間務めたクルーン。安定感が無い、落ち着いて見ていられない、クルーン劇場など言われたが、三振が取れて数字を残せる抑えはそうはいないだろう。 

 クルーンは大リーグ時代から球は速かったが制球力が悪かった。肘を壊してメスを入れたことからメジャーから声がかからなかった。そこで出場機会を求めてベイスターズに入団した。

 2005年に牛島和彦の指導で、重心を軸足に乗せるフォームにした事で、制球力が少し良くなる。そして、佐々木主浩が離脱したことにより、セットアッパーからクローザーになった。26セーブ、27セーブ、31セーブと3年間抑えとして役割をじゅうぶんに果たした。2007年のシーズン後に年俸面で折り合いがつかず、退団となり巨人ににゅうだんすることとなった。

 2008年は上原浩治に代わって巨人でもクローザーを任される。4月27日には四球の判定に不満を持ち、友寄審判に暴言を吐き、試合終了後に退場処分となる。色々あったが、1勝4敗41セーブ。防御率2.21で初のタイトルであるセーブ王を獲得。41セーブは球団新記録。巨人からは石毛博史以来15年ぶりのセーブ王でもあった。2009年は故障もあったが、1勝3敗27セーブ。防御率1.26と安定した投球を見せた。被本塁打は1本のみだった。2010年は前年に比べて打たれる試合が目立つようになる。9月になると、9回の途中交代もあり、山口鉄也越智大祐に試合を任せることもあった。そして、シーズンオフに退団となった。 

 2003年から抑えに悩むことが多かったチームでこれだけ抑えれたのは凄いことだろう。もし、クルーンが来なかったら、優勝してなかったかもしれないし、抑えが定着してなかったかもしれない。色々問題も起こしたり、劇場と言われたりしたけど、巨人の中でも、よくやってくれた抑えだと思う。