育成の星①‼️

 育成選手契約が2006年あたりから始まった。育成契約から支配下され新人王を取った選手も。また、タイトルを取った選手もいる。巨人ではどのような選手がいたのか。第1回目は隠善智也である。

 広島国際学院高校出身で甲子園出場はない。一塁手や外野手や控え投手等を務めた。広島国際学院大学では、広島六大学リーグ屈指の好打者として注目された。2006年の育成ドラフト4巡目で指名されて入団した。

 2007年のルーキー年は後半からイースタンリーグの試合に出て存在感を示す。2008年には、オープン戦や教育リーグの活躍が認められて、3月21日に支配下選手登録へ。背番号も99と二桁になった。3月30日のヤクルト戦で9回表に代打で一軍デビュー。左中間への二塁打という最高のデビュー。期待感を抱かせた。5月11日の中日戦では一軍初スタメン。3安打3打点でチームの大勝に貢献。このまま、レギュラーへ一直線へと思われたが、外野の層は厚かった。この年は36試合62打数18安打。打率.290。三振は19と多かった。2010年は一軍での出場機会はなかった。その後はイースタンリーグでは活躍するも、一軍ではインパクトを残せなかった。その後はたまに一軍へ上がることはあったが、目立った活躍は出来ず、2015年には亜脱臼の怪我を負ってしまう。そのシーズン後に戦力外通告。そして、引退となった。 

 

 では、なぜ隠善智也は大成できなかったのか。持っている才能は凄かった。しかし、外野手の層が厚く出番が少なかった。また、左投げ左打ちということもあり、守れるポジションも限られた。そして、これと言った自分の武器が無かったのも痛かった。2軍では高打率を残していたが、1軍では結果が出なかった。しかし、巨人ファンなら隠善智也と聞けば分かるはず。ファンの中には何か記憶を残した選手だろう。もちろん、名前が珍しいのもあったが。育成契約からでも、頑張れば支配下選手登録される事を証明した一人でもあるだろう。