24歳で引退したが記憶に残っている

 24歳で引退したが、記憶に残っている投手。條辺剛徳島県の阿南工から1999年のドラフト5位で入団。野手としての評価も高く、2年間の間で1軍登板が無かったら、野手に転向すると言う条件付きだった。

 2000年の最終戦のヤクルト戦で1軍初登板初先発。ドラフト制以降、巨人の高卒ルーキーの先発デビューは34年ぶりだった。しかし、プロの洗礼を浴びて3回3失点で負け投手となる。だが、将来の可能性を感じさせるデビューだった。2001年はオープン戦で好投して、開幕一軍入り。桑田真澄以来の10代投手での開幕1軍だった。中継ぎとして投げて、開幕から13イニング無失点と好投を続ける。岡島秀樹に変わって抑えを務めたこともあった。4月3日のヤクルト戦では6回から登板して4回を無失点。プロ入り初セーブ。実は10代でセーブを記録した事は球団史上初だった。46試合に登板。7勝8敗6セーブと負けが先行したが、2年目にしては上出来の成績ではなかろうか。しかし、夏頃から肩を痛めていたらしい。その影響からか、2002年からは急速が落ち出す。その後も肩の痛みが増して、登板機会は減っていく。2005年のシーズン後には戦力外通告を受けて、トライアウトを受験。しかし獲得球団はなく、24歳の若さで引退。

 

 

 

 引退後はうどんの修行をして、2008年に埼玉県ふじみ野市に、讃岐うどん條辺を開店。第2キャリアで見事に花が開いた。