高卒投手を1年目からデビューさせる

 高卒投手を1年目からデビューさせるとどのような事が起こるのか。デビューと言っても、開幕直後の登板と、7月ぐらいの登板と、10月ぐらいの消化試合での登板とでは意味合いが違う。巨人では失敗例がいくつかある。 

 

 巨人には平岡政樹という投手がいた。徳島県徳島商の出身。3年の春のセンバツ大会ではベスト4にチームを導いた。更に智弁和歌山を完封したことから、かなり注目度が上がった。そして、高卒ながら2003年ドラフト4巡目で巨人に指名された。そして早くもチャンスは巡ってくる。4月28日のヤクルト戦でプロ初登板。巨人の高卒ルーキーでは堀内恒夫以来38年ぶりの高卒新人4月登板となった。先発1試合を含めた7試合0勝1敗。防御率4.50。その後右肩を痛めて力を発揮できずに2005年のオフに戦力外通告を受ける。わずか2年での戦力外。育成契約を結ぶも、試合で投げられるまでに回復しなかった。育成も含めて3年でプロ生活は幕を閉じた。くしくも、上記で述べた7試合が生涯成績となった。その後は球団職員としてジャイアンツのアカデミーの指導員を務めながら、専修大学を受験。その後、専修大学を卒業している。同期には同じ高卒で春の選抜で優勝投手となった、西村健太朗や1軍経験はなかったが、捕手の佐藤弘祐がいる。ちなみに西村健太朗も高卒1年目で7月に登板。3試合で防御率22.09だった。西村健太朗のその後の活躍は後日書くこととする。また、自由獲得枠で入団した内海哲也、大卒の山本賢寿、南和彰よりもデビューが早かった。投手崩壊したと言っても、明らかに早くデビューさせすぎた結果がこのようになったのではないか。