浅草観光

 浅草観光と来ればダン・ミセリ。2004年の12月に巨人と契約。先に入団が決定していたキャプラーからは非常に打ちにくい投手と評価されていた。本人は、メジャー6球団からオファーがあったが、新たな環境で勝負したい。50セーブが目標と気合十分だった。

 キャンプでは堀内監督から、ボールが高めに行かない。9回1イニング限定で使う等と言われ、クローザーとして使われる事が決まった。オープン戦ではイマイチの成績だったが、何とか行けるだろうとの評価だってのか?開幕を1軍で迎える。大リーグでは1995年に21セーブ。1998年には67試合に登板。10勝5敗の成績を挙げるなど、実績はソコソコある。

 4月1日の開幕戦。1点リードの9回表に初登板。いきなりラロッカに同点本塁打を許す。この本塁打ミセリの運命を決めた一撃だったのかもしれない。続く前田智徳には内野安打。代走の福地には盗塁。緒方孝一には勝ち越しのツーランを打たれる。3失点で敗戦投手と散々なデビュー。4月5日の横浜戦では同点の12回裏に登板。先頭の金城に二塁打。佐伯を敬遠後、ウイットを三振に取るが、多村にフェンス直撃のサヨナラ安打を打たれて敗戦投手。2軍調整を促されたが、本人の同意無しに2軍に落とさないと言う契約あり、それをミセリが拒否したため、1軍に帯同しながら中継ぎで調整することとなった。4月6日の横浜戦。延長11回に巨人がリードしてセーブ場面を迎えたときに、横浜ファンからミセリコールが起きた。4月7日の横浜戦では1回3失点。4月10日の中日戦では10点ビハインドでマウンドへ。2安打打たれるが、4試合目で初の無失点。敗戦処理の起用に不満を漏らしたことと、右肩痛のため2軍落ちを打診されるも拒否。その後、話し合いは重ねられて4月19日に解雇。解雇翌日に浅草観光、人力車に乗った事などが話題になった。

 

 4試合0勝2敗。防御率23.63。

 

 もしも、開幕戦でラロッカを抑えていたらどうなっていただろうか?ふざけた助っ人だったなと当時を覚えている。今でも語り継がれる失敗外国人の1人だろう。現在は49歳。今年で50歳を迎える。