三振が少ない打者

 三振が少ない打者のイメージとしては、追い込まれたら当てに行くイメージや、早いカウントから打っていくと言うイメージがある。しかし、巨人にも在籍した事がある谷佳知は少し違った。通算7175打席に対して、三振は713。三振はおよそ10打席に1回と少ない。500打席立てば、50個といかに少ないかが分かる。

 谷佳知高校野球では香川県の強豪の尽誠学園。2年時には1学年上の宮地克彦と共に甲子園出場。谷は1番ライトとして活躍。チームのベスト4に貢献した。その後は大阪商業大学三菱自動車岡崎を経て1996年ドラフト2位でオリックスに入団。なお、1996年にはアトランタ五輪日本代表にも選ばれ、銀メダル獲得に貢献もした。1年目は規定打席には到達しなかったが、ルーキー年に101試合に出場。ここからレギュラーとしての道が開けた。レギュラーとなっては189安打を放って最多安打を獲得したり、シーズン52二塁打を記録したりと順風満帆。谷、田口、イチローと鉄壁の外野手トリオを形成した時期もあった。レギュラーとして申し分のない成績だったが、2006年に肘を怪我したことなどもあり、鴨志田貴司長田昌浩との交換トレードで巨人へ移籍。

 巨人へ来てからはとても激しいポジション争い。ラミレスが移籍してきたら、長野久義が入団したりと苦労が絶えない。シーズン開幕は控えも、新外国人の不調やレギュラーのけが人の合間を縫ってレギュラーを取ると言ったイメージが毎年あった。その中でも、木村拓也追悼試合では同じ年ということで期するものがあったのか、代打で逆転満塁弾を放つなど、今でも記憶に残っているプレーはある。

 本題である三振の少なさを言うと、オリックス時代の2000年の584打席で71三振というのが最多であり、それ以外は三振50を超えることは無かった。四球も特に多くはないので、どちらかと言うと早打ちの部類だが、追い込まれてからはただ当てに行くのではなく、的確にミートして右方向に安打を重ねていた感がある。ゴールデングラブ賞も4回受賞したことから、俊足強肩の外野手だった。巨人戦力外後はオリックスで2年間プレイして引退した。妻は柔道の柔ちゃんでお馴染みの谷亮子田村亮子)。

 

巨人時代の応援歌

 

柔よく剛制す、鍛えた技で。かっ飛ばせ。かっ飛ばせ。かっ飛ばせ佳知。

 

谷のイメージと柔道・柔ちゃんを兼ね備えた見事な歌詞とメロディーであった。

 

三振数は45.36.40.71.49.44.41.42.48.41.48.43.44.32.30.48.4.5.2と少ない。